
かわら版 No.1477 『こけたら立ちなはれ』
2025/10/27
10月20日は私の敗戦記念日です。1996年のこの日は、衆議院議員選挙の投開票日でした。私は39歳の現職で2期目当選をめざしていましたが、全国1位の僅差105票差、惜敗率99.9%(重複立候補していませんでした)で敗れました。
当選したのは自民党新人で元県議会議長の田中昭一さん(当時59歳)でした。田中さんが73792票、私が73687票でした。その結果、働き盛りではありましたが、約4年も浪人することになりました。
田中さんは任期中に体調を崩され、衆院1期で政界を引退されましたので、私はリベンジを果たせませんでした。そして、今月15日、田中さんがご逝去されました(享年88歳)。私は26日に行われたお通夜に参列し、ご焼香させていただきました。
落選中は宿敵に対して恨みつらみの感情しかありませんでした。でも、田中さんとの激戦で一敗地にまみれたことにより、1票の重みや1人1人の大切さを改めて思い知りました。そして、地道にコツコツと地元活動を続けるようになりました。
その後は小選挙区で9連勝できました。約30年の時が過ぎ、今もまだ国会で仕事を続けていられるのは、田中さんのお陰だと感謝の気持ちを込めて合掌しました。
10月21日も新たな敗戦記念日になりました。内閣総理大臣を選ぶ首班指名選挙で自民党の高市早苗総裁に敗れてしまいました。奇しくも高市新総理も私も松下政経塾出身。同門対決でした。
共通の師匠である故松下幸之助塾主の次のような言葉をかみしめています。「こけたら立ちなはれ。立ったら歩きなはれ」。失敗してもくよくよせず、すぐに立ち上がって前に進みなさいという意味です。勝ちっ放しの人生などありませんので、名言だと思います。
10月24日に新総理の所信表明演説がありました。今週は外交日程が目白押しですので、所信に対する各党代表質問は11月4日から始まります。700名余の衆参国会議員のトップバッターとして登壇するのは、立憲代表の私です。論戦の火蓋を切ります。
自公連立政権は、26年間にわたり公明党がブレーキ役でした。自維連立政権は自民と維新のアクセルが2つになり、行け行けどんどん路線になるでしょう。国民の暮らしを守り、自由を守り、平和を守るために改革中道の立憲民主がブレーキ役を果たさなければなりません。