詳細 | かわら版 | 衆議院議員 野田 よしひこ

かわら版 No.1506 『追悼・河野洋平元議長』

2026/06/22


  河野洋平元議長が6月8日、ご逝去されました。心より哀悼の意を表します。


  ロッキード事件で政治倫理が大きな政治課題となっていた1976年6月、河野氏ら6人の国会議員が自民党を離党し、「保守政治の刷新」を掲げて「新自由クラブ」を結成しました。この時大学1年生だった私は、早大政経学部の先輩の勇気ある行動に感動し、ポスター張りやビラ配りのお手伝いをしました。


  同年12月に行われた衆院選では一挙に17人が当選し、党勢を拡大しました。しかし、その後は内輪もめなどにより勢いを失い、新自由クラブは解党し、多数のメンバーが自民党に復党しました。


  政権交代可能な国をつくりたいと志を固めた私は、大学卒業後は松下政経塾で学び千葉県議会議員(無所属)を経て、1993年7月、細川護熙代表率いる「日本新党」から衆議院議員に初当選しました。


  自民党・社会党・さきがけの連立による村山富市政権下では、日本新党も含む非自民・非共産勢力が結集した「新進党」に所属することになりました。そして、新進党1年生議員だった1995年3月10日、衆院内閣委員会において河野洋平外務大臣(自民党総裁)に約1時間質問をしました。冒頭は自己紹介から始めました。


  「実は私は、20年ほど前、新自由クラブの旗揚げのころに学生ボランティアをやっておりました。(中略)まさかあのときの河野代表が自民党の総裁になられているとは私も想像しませんでしたし、また、当時河野代表の演説に感銘をし、この政治の世界に踏み込んだ私でございますので、こうした立場で議論をするとは…。本当に特別な感慨を持つ次第でございます」と。


  質疑終了後、河野大臣が近づいてこられ、笑顔で私の手を握られました。


  政治腐敗に義憤を感じていた私が、河野氏らの決起に共感し、ボランティアとして参加したことが、私の政治活動の原点です。あれから50年。政権交代可能な国をめざし続けてきましたが、新自クに始まり、日本新党、新進党、民主党、民進党、立憲民主党、中道改革連合…。挫折の繰り返しです。


  河野元議長とは昨春の園遊会で立ち話をしました。それが最後の会話となりましたが、極めて示唆に富んだご助言をいただきました。


  「世の中が右へ右へと傾こうとしている時、中道勢力が元気を出して存在感を示すことが重要です。そうすれば、穏健な保守ともよりリベラルな勢力とも連携し、大きな塊をつくれます。頑張ってください」と。


  この温かいご激励にお応えできていません。私の政治人生の節目節目で影響を及ぼした河野洋平元議長の御魂に対し、改めて哀悼の意を表します。合掌。


  

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