詳細 | かわら版 | 衆議院議員 野田 よしひこ

かわら版 No.898 『日銀総裁』

2013/02/25

  2009年9月から2010年6月まで財務副大臣を務めました。この頃、日本銀行の最重要な政策を決定する政策決定会合に、政府を代表して出席していました。


  議長は日銀のトップである白川方明総裁。その他のメンバーは、2名の副総裁と若干名の審議委員。会合は午前9時に始まり、午後1時頃まで続きます。まずは各メンバーが現下の内外の経済情勢や見通しを発表します。事前にまとめてきたレポートを読み上げる形式です。大学の経済学ゼミナールの読書会のような感じです。一巡した後、議長のリードで議論を深めます。


  白川総裁は常に冷静沈着でした。他人の意見に真摯に耳を傾け、自分の意見は理路整然と開陳していました。そして、果断に意思決定していました。


  2010年6月から2011年8月まで、財務大臣を務めました。この間、白川総裁とはG8やG20などの国際会議において、頻繁に行動を共にしました。リーマンショック以降、マクロ経済における政策協調を国際社会は求めています。そのような中で、各国の中央銀行総裁と強い信頼関係を築いていた白川総裁の存在は、私にとって頼もしい限りでした。


  私は財務大臣として、為替の過度な変動や無秩序な動きに対応するため、3度市場介入を行いました。「兆」単位のお金を投入する介入は、しびれるような政治決断です。特に、東日本大震災の直後に投機筋が仕掛けた荒波に対抗するための介入は、本当に緊張しました。これらの緊迫した場面においても、白川総裁はしっかりとサポートしてくれました。


  総理に就任して以降も、総裁とは密接に連携してきました。その集大成が、昨年10月末に政府・日銀が共同して発出した「デフレ脱却に向けた取組について」でした。


  その白川総裁が、3月に5年間の任期が切れ、退任することになりました。「激動の時代に大変ご苦労様でした」と、「戦友」として心からねぎらいたいと思います。


  焦点は後任人事です。戦後、13人の日銀総裁が誕生しましたが、一人を除くと、すべて日銀か大蔵省(現財務省)でした。しかも、長い間、日銀と大蔵から交互に総裁を出すたすき掛け人事が続きました。そのような出自ではなく、あくまで金融政策を司る(つかさどる)に足る人物かどうか、識見、器量を見て選ぶべきでしょう。


  最近とても気になることは、デフレの原因が全て日本銀行の責任であるかのような、度を越した日銀叩き(たたき)が横行していることです。TPPは米国の謀略だ、社会保障と税の一体改革は財務省の陰謀だと言うのと同じ風潮です。政界は、誰かやどこかの組織に責任転嫁することが大好きです。改めなければならない悪弊です。


  政府のおメガネにかない、国会で承認されなければなりませんが、政治に迎合することのない胆力をもった人物を敢えて選ぶべきではないでしょうか。

 

追記


 2月28日から3月16日までは、千葉県知事選挙の選挙運動期間ですので、駅頭活動はお休みさせていただきます。

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