詳細 | かわら版 | 衆議院議員 野田 よしひこ

かわら版 No.903 『相棒』

2013/04/15

  長浜ひろゆき参議院議員は、早稲田大学政経学部の1年後輩です。彼は、花の応援部の副部長。私は、地味な学生でした。キャンパスの中ですれ違っていたかもしれませんが、直接の知り合いではありませんでした。


  松下政経塾への入塾を契機に、出会うことになります。私は1期生。長浜議員は2期生。草創期の政経塾において、共に松下幸之助塾長の薫陶を受けました。以来、30年を超えるお付き合いとなりました。


  卒塾後、私は県議に。長浜氏は商社勤務などを経て、家業である浦安の鉄鋼会社の経営に携わります。そして、共に細川護煕代表率いる日本新党に参画し、平成5年の衆院選で同期当選を果たしました。しかし、平成8年の総選挙では、仲良く落選。


  30代後半から40代前半にかけてのいわゆる「アラフォー」という働き盛りの時に、3年8か月も浪人生活を余儀なくされました。所属していた政党が解党するなど、踏んだり蹴ったりでした。当時、長浜氏は柏市に住んでいました。だから、東武野田線に乗って、気軽に行ったり来たりしていました。ある晩は船橋の山口横町で慰め合い、翌晩は柏の赤ちょうちんで鼓舞し合うという具合でした。


  わが家は息子が2人。長浜家は2男1女。同世代なので、おのずと家族ぐるみのお付き合いに発展しました。ささやかな貧乏旅行も一緒にしたことがあります。このような不遇の時代が、長浜氏と私の絆を深めたといえるでしょう。


  平成12年に共に国政復帰。以来、様々な曲折を経て、悲願の政権交代を実現できました。そして、野田政権の下では、長浜議員には激務の官房副長官を務めてもらいました。官邸における重要な政治判断の際には、必ず長浜副長官が同席していました。特に、尖閣の国有化は、彼の力を抜きには語れません。所有者や東京都との実務的な交渉は、すべて長浜副長官が担っていました。


  わが政権の終盤には、環境大臣兼原発事故担当大臣も務めてもらいました。


  野田政権は、巡り合わせなので仕方ありませんが、国論を二分するような困難な課題ばかりに直面しました。箱根駅伝で例えるならば、険しい登り坂の5区でタスキを掛けたみたいでした。482日間、苦しい坂道をしっかりと伴走してくれたのが長浜議員です。


  私にとっては、同志というよりも、お互いのいい所悪い所を知り抜いた「相棒」です。その相棒が、7月の参院選で改選期をむかえます。千葉県選挙区は厳しい難しい戦いになりそうです。でも、長年苦楽を共にしてきた相棒を失うわけにはいきません。私は、地元船橋市のみならず、千葉県中の運動の先頭に立つ決意です。


  4月20日(土)午後3時より、船橋グランドホテルにおいて、久しぶりに私の国政報告会を開きます。長浜ひろゆき議員もゲストとして出席します。ご参加をご希望の方は事前にお知らせくださいませ。

 

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