詳細 | かわら版 | 衆議院議員 野田 よしひこ

かわら版 No.909 『市長選』

2013/06/03

  藤代孝七・船橋市長とは、昭和62(1987)年の千葉県議会議員選挙に同期として当選して以来、四半世紀を超えるお付き合いとなりました。初当選時、私は弱冠29歳、藤代氏は43歳でした。県政史上初となる原稿なしの一般質問などの私の武勇伝を知る、数少ない生き証人の1人です。


  
  県議選では2回、好敵手として戦いましたが、私が国政に転出し、藤代氏が市長に就任して以来、お互いに「あうん」の呼吸で支え合ってきました。共に、県立船橋高校の柔道部出身。にもかかわらず、共に政界に入ってからは「寝技」が苦手。鷹揚な性格もよく似ており、相性が合いました。


  
  その藤代市長が、今期限りで勇退されることになりました。4期16年間にわたり、中核市船橋のリーダーとして、安定感のある市政運営に心を砕き、確かな実績を着実に積み上げられてきたことを高く評価します。決して裏切ることのない彼が、地元船橋でどしっと構えていてくれたからこそ、私は安心して国事に奔走することが出来ました。改めて、「長い間ご苦労様でした。ありがとうございました」と、労をねぎらいたいと思います。そして、今後も大所高所からご指導賜りたいと思います。


  
  次期市長選には、複数の方が名乗りを上げているようですが、民主党千葉県第4区総支部は、藤代市政の下で副市長を務めていた「まつど徹」氏を政策協定を結んだ上で推薦決定いたしました。協定で合意したのは、左記の7項目です。


  
  1. 行政改革を推進すること
  2. 情報公開の推進を図ること
  3. 児童相談所を設置すること
  4. 地域包括支援体制の充実を図ること
  5. 保育園・放課後ルームの待機児童「ゼロ」を推進すること
  6. 市内全域のバリアフリー化を推進すること
  7. 企業庁所有地の有効活用を推進すること


  
  私も、総支部長として「まつど」氏と面談しましたが、行政経験が豊富な上に、熱意も人柄も申し分ないと判断しました。船橋の市長が「まつど」かと、候補予定者の姓と東葛地区の地名の重複をいぶかる声も聞きます。しかし、国政においては船橋の代表は「野田」ですから…。全く関係ありません。皆様のご理解を心よりお願い申し上げます。


  

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