詳細 | かわら版 | 衆議院議員 野田 よしひこ

かわら版 No.962 『日韓関係について』

2014/08/18

  昨秋、冷え込んだ日韓関係をどう立て直すかについて、日韓の有識者による会合が密かに開催されました。両国ともに出席者は7名ずつ。元外交官、大学教授、メディア関係者など豪華メンバーが揃いました。なぜか現役政治家は唯一人、私だけに声が掛かりました。韓国側出席者は異口同音に日韓関係の冷え込みは、日本の右傾化が原因であると指摘しました。

  私は、時系列に沿って反論しました。まず2011年10月、私は総理として最初の外遊先としてソウルを訪問し、韓国重視の姿勢を示しました。この時の首脳会談は、終始いいムードでした。当時の李明博大統領は、「歴代の韓国大統領は就任直後は未来志向の日韓関係を唱えるが、任期後半になると反日カードを使いながら支持率を上げようとしてきた。私はそういうことをしたくない」と、きっぱりと明言しました。

  その直後の12月、京都で開催された日韓首脳会談では、李大統領は時間の大半を費やしていわゆる従軍慰安婦問題の解決を求めてきました。私は、1965年の日韓請求権協定によって法的には完全に決着しているという立場を貫き、彼の要求に応じませんでした。この時の厳しいやり取りが、翌年8月の李大統領による竹島上陸という常軌を逸した行動の伏線となり、日韓関係の急速な悪化につながったと思います。

  日韓関係の冷却の原因を日本の右傾化とする韓国側の主張は、現在の安倍政権を意識したものでしょう。しかし、両国関係の悪化は残念ながら既に野田政権の時から始まっていました。その時、日本は右傾化していたのでしょうか。むしろ、ナショナリズムとポピュリズム(大衆迎合主義)を連動させる動きが韓国側から始まったと見るべきでしょう。

  このような主旨の発言をしましたが、韓国側からストレートな反論はありませんでした。だからといって、理解されたかどうかはわかりませんが…。

  本年7月、訪日中の韓国メディア代表団との懇談の機会がありました。その席上1人の記者から、「2011年暮れの京都における日韓首脳会談が険悪になったのは、会議の冒頭に野田首相がソウルの在韓日本大使館の前の(慰安婦を象徴する)少女の像を撤去するように求めたからではないですか」と、質問されました。李大統領が従軍慰安婦の問題に言及したのは、私の発言がきっかけだったというのが彼の理解でした。

  私は、正確に説明しました。従軍慰安婦に関わるテーマを、既に決着済みという立場の日本の首脳から議題にするはずがないこと。慰安婦の問題は李大統領から提起され、しかも執拗に続いたので、会談の後半に少女の像について私が言及したことなど、経緯も含めて丁寧に答えました。

  メディアが誤解し、このまま報道してしまったら、国民は事実として受け止めてしまうでしょう。それは、重要な二国間関係に悪影響を及ぼすだけです。常に検証し、過ちは直ちに正すこと、日韓両国のメディアに強く求めたいと思います。
 
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