詳細 | かわら版 | 衆議院議員 野田 よしひこ

かわら版 No.1098 『一騎討ち』

2017/08/28

  8月21日、民進党代表選挙が告示されました。選挙運動期間は12日間。新代表は9月1日の臨時党大会で選出されます。届け出順に立候補者をご紹介します。


  「前原誠司」候補は、松下政経塾の後輩です。私が千葉県議会で初質問に立った1987年、当時塾生であった前原氏は傍聴に来てくれました。その4年後、彼も見事に京都府議会議員に当選しました。


  1993年、共に日本新党から衆院選に当選。以来24年間、政権交代可能な2大政党制をめざして苦楽を共にしてきました。


  2002年、私が若手統一候補として民主党代表選に挑んだ時は、彼は献身的に応援してくれました。2005年、彼が僅か2票差で競り勝った代表選では、私が前原陣営の選対本部長を務めました。2011年の代表選では好敵手として戦いましたが、決選投票では支持してもらい、内閣総理大臣に就くことができました。


  野田政権下では、党の政策調査会長をお願いしました。エネルギー政策、消費税、TPPなど国論を二分するようなテーマに直面していましたが、彼は逃げずにブレずに大役を果たしてくれました。


  今回の代表選でも、「社会保障と税の一体改革」をまとめた責任に触れ、正面から消費税を含む財源問題についても発言しています。そのケレン味のない姿勢が前原氏の真骨頂だと思います。


  「枝野幸男」候補も、93年衆院初当選の同期生です。しかも、彼は日本新党公募候補でした。弁護士として法廷で話すことには慣れていましたが、大衆の前でマイクを握った経験がないということで、私の駅頭活動を早朝に見学に来たこともありました。


  枝野氏とも四半世紀近くにわたり、同志として共に活動してきました。演説力はとっくに抜かれてしまいました。特に、緻密で論理の一貫した長時間演説は絶品です(ちなみにカラオケでもマイクを放さないそうです)。


  2011年3月に起きた東日本大震災と福島第一原発事故を、菅内閣の官房長官として経験しました。不眠不休でスポークスマンとして記者会見に立ち続ける姿を見て、「枝野寝ろ!」など多くの心配の声が寄せられたことを憶えていらっしゃる方も多いでしょう。


  私にも、忘れられない彼との思い出があります。2011年9月、野田内閣が発足しましたが、組閣してまもなくして経産大臣が不祥事を起こし、直ちに後任を選ばざるをえなくなりました。悩みながら床についたら、夢に福耳をもった人物が現れました。翌朝、指宿温泉で休養中だった枝野氏に電話をし、経産大臣就任を懇請しました。「2030年代に原発ゼロをめざす」方向性を決められたのは、枝野大臣のお蔭でした。


  両候補とも経験、人格、識見いずれも申し分ありません。党所属議員や党員・サポーターの動向も気になるでしょうが、国民に強い覚悟が伝わるかどうかが勝負を決めると思います。

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