詳細 | かわら版 | 衆議院議員 野田 よしひこ

かわら版 No.1107 『財源なくして政策なし』

2017/11/13

  経済的な理由で勉学に集中できる環境が持てない子ども、進学をあきらめる子どもがいます。また、大学に進んでも奨学金という名のローンを抱え、卒業後に返済が待っているのが現状です。子どもの6人に1人が貧困状態にある中、貧困による教育格差の解消は、まさに喫緊の課題です。


  私は、幼児教育から高等教育までの公教育の無償化を段階的に実現し、すべての子どもたちが生まれた環境にかかわらず、同じスタートラインに立つことができる社会を創りたいと考えています。伸びしろのある子どもや若者に教育の機会を確保することは、潜在成長率がゼロに近い我が国の伸びしろにもつながるはずです。


  はじめの一歩は、旧民主党政権が2010年度から開始した「高校授業料無償化」でした。公立高校生の授業料(原則として年11万8,800円)を国が負担し、私立高校生にも原則同額が支給されました。経費は年4千億円。その財源確保は、私が担当しました。当時、自民党などからは理念なき選挙目当てのバラマキ政策だと、厳しく批判されました。しかし、経済的な理由での高校中退者は、09年度の1,647人から11年度には945人に激減し、その後も年々大きく減少しました。政策効果は抜群でした。


  昨春、ある会場で約1時間の講演を終えた後、質疑応答の時間となりました。すると1人の青年がおずおずと挙手しました。指名したところ、質問ではなく感謝の言葉を語ってくれました。彼は、貧しい母子家庭で育ったそうです。高校進学をあきらめていたら、高校無償化が実現され、公立高校で学ぶことができたとのことでした。そして、千葉大学教育学部に合格し、教師になる夢に向かって頑張っているという主旨でした。話を聞いて、目頭が熱くなりました。政治家冥利につきると感動しました。


  教育無償化の意義は、広く世の中に浸透してきました。先の総選挙においても、あの自民党も含めて多くの政党が政権公約に掲げるようになりました。数年前とは隔世の感があります。中には憲法改正項目として挙げる政党まで出てきましたが、無償化議論の本質は、憲法論ではなく財源論です。


  政策を実現するには、財源が不可欠です。負担の問題に蓋をした公約は、単なるスローガンにすぎません。実行可能性を疑われるだけです。高校授業料無償化の財源は、16~18歳までの特定扶養親族に対する扶養控除の上乗せ部分(25万円)を廃止することで確保しました。要は、優遇税制を縮減して財源を捻出したのでした。


  「財源なくして政策なし」。この言葉を胸に刻んで、教育無償化論議をリードしていく決意です。

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