詳細 | かわら版 | 衆議院議員 野田 よしひこ

かわら版 No.1299 『永年在職25年』

2022/01/11

  令和4年1月、私は、国会議員としてその職にあること25年に達しました。長い間ご支援いただいている地元船橋の皆様に、厚く御礼申し上げます。


  平成5(1993)年7月の第40回総選挙において、旧千葉1区で初陣を飾ることができました。当時の選挙区は、千葉市、船橋市、市原市、習志野市、八千代市の5市を対象とする中選挙区制でした。広い選挙区の中を移動するだけでも大変でした。


  細川内閣の下で現行の小選挙区比例代表並立制となりました。平成8(1996)年10月、新制度で行われた初めての選挙では、小選挙区の千葉4区で立候補しましたが、全国一僅差の105票差で落選。約4年の浪人生活はいちばん苦しい時代でしたが、同時に、最も人情の機微に触れた時期でもありました。


  貸し渋りや貸しはがしが横行していたころです。湊町の5階建てビルの3階に私の事務所があったのですが、他のテナントについては1階は夜逃げ、2階は倒産、4階も5階も知らない間に退去していました。所属していた政党も消滅し、資金繰りは大ピンチに陥りました。


  苦境を乗り越えることができたのは、毎月1万円の個人献金に応じていただいた約50人の支援者の皆様のお陰です。その感謝の気持ちを忘れないため振り込みではなく、毎月自分で支援者を回り活動をご報告し、1万円をいただき自ら領収書を切りました。


  その貴重な浄財が私の活動費となりました。ご協力いただいた方々の中には既に故人になられた方もいらっしゃいます。私が総理になる前に天上の人となった方もいらっしゃいます。改めて、苦しい時にお助けいただいた皆様に心より御礼申し上げます。落選して良かったとはとても言えませんが、すごく大事な経験をさせてもらえました。


  平成12(2000)年に当選し、国政に返り咲くことができました。以来、今世紀に入ってからは、お陰様で負け知らず。当選回数も計9回に達することができました。「負けず嫌い」というよりも、「負けるのが怖い」から必死だからでしょう。


  衆議院議員として在職25年に達すると、衆院本会議で表彰され、謝辞を述べる栄誉に浴します。実は私の場合は、17日から始まる通常国会で表彰される予定でしたが、辞退させていただくことにしました。もともと「長きを以て貴しとせず」が、私のポリシーです。問われているのは実績です。政権交代可能な2大政党制、社会保障と税の一体改革の再構築、皇位の安定的継承など、まだやり残している事があります。


  また、国民の代表である国会議員に選ばれ続けること自体は大変名誉なことですが、感謝こそしても表彰してもらうのは…。むしろコロナの感染拡大状況をよく見ながら、地元の皆様への感謝の集いを企画したいと思います。昨秋に当選して間もないのですから、とにかく任期4年を精一杯責任を果たす決意です。


  

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