詳細 | かわら版 | 衆議院議員 野田 よしひこ

かわら版 No.1375 『牛尾治朗さんの思い出』

2023/09/11

  ウシオ電機(株)の創業者で経済同友会代表幹事などの要職を歴任された牛尾治朗さんが、6月13日、92歳でご逝去されました。9月8日、お別れの会が都内ホテルで開催されましたので、私も出席し花を手向けてきました。


  牛尾さんと初めてお会いしたのは1979年、私が大学4年生だった秋です。就活の終盤で新聞社とテレビ局から内定をもらい、そのどちらかに決めようという時でした。「松下政経塾第1期生募集」という新聞広告を目にし、パンフレットを取り寄せてみました。


  先輩はいないし実績もないので、農作業している塾生の姿などイラストばかりのパンフでした。カリキュラムの説明もない漠然とした中身でしたが、逆にツルハシを担いで道を切り拓いていくような魅力を感じ、ふと応募してしまいました。


  大学で政治学を専攻したのは、「ジャーナリストになって、ペンの力で政治を正したい」と思っていたからです。シャイで無口な青年でしたので、「政治家になる」という選択肢は全く視野にありませんでした。


  1次選考、2次選考で、面接、筆記試験、体力テスト、弁論試験などが行われましたが、何とか通過しました。第3次選考は有識者による面接。これをクリアすれば松下幸之助塾長による最終面接に進むことができます。第3次の段階では数十人にまで絞り込まれており、複数の有識者が手分けして選考を担当しました。


  私を担当した面接官が、松下塾長が最も将来を嘱望していた経営者・牛尾治朗さんでした。ガチガチに緊張して対面しましたが、牛尾さんが終始穏やかな笑顔で快活に応対してくださり、やがて自然体で自分らしさをアピールできました。


  人前で話すことが大の苦手なので弁論サークルとは無縁だが、「新自由クラブ」(自民党に所属していた河野洋平らが、党の金権体質を批判して離党して結成した政党)の学生ボランティアをした経験があること。尊敬する政治家は、石橋湛山とロバート・ケネディ(ジョン・F・ケネディの弟)であることなど、問われるままに率直に語りました。いつの間にか意気投合していました。政経塾入塾が事実上決まった瞬間だったと思います。


  入塾後も何度も講義を受けましたが、T・H・グリーンの理想主義哲学やカロッサの「ルーマニア日記」などの文学まで、縦横無尽に語られました。旧制三高最後の世代の教養の高さに圧倒されました。


  2012年、キッコーマンの茂木友三郎さんや佐々木毅元東大総長らと共に産学労で公共人材の交流・育成をめざす「日本アカデメイア」を創設され、第1回講師に当時総理であった私を指名していただきました。


  私が総理を退陣した後も、茂木さんらと私を囲む財界人の懇談会「どじょうの会」を定期的に開き続けていただきました。面接以来44年間、常に温かい目で見守りお育ていただいたことに、改めて深く深く感謝申し上げます。合掌。

 

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