かわら版 No.1438 『経験と教訓を生かした災害対策を!!』
2025/01/141995年1月17日午前5時46分。阪神淡路大震災が発生し、6434名もの尊い命が奪われました。あの震災から、まもなく30年を迎えようとしています。私も今週金曜日に神戸で開催される追悼式典に出席します。
大都市の直下で起こった震災であったため、家屋倒壊による被害が甚大でした。日本火災学会によると自宅の下敷きなどにより閉じ込め・生き埋めになった時、自力や家族に救出された人の割合は66.8%でした。消防や警察などによる「公助」は1.7%に過ぎませんでした。
意外と高い割合だったのが隣人や友人らによる「共助」で、30.7%を占めていました。災害はいつ起こるかわかりませんが、いざという時に頼りになるのはご近所の人たちのようです。地域とのつながりが年々希薄になりがちですが、自治会や町会の活動は命を救うご近所の底力になっています。
もう1つ、阪神淡路大震災が残した教訓は自衛隊の出動でした。当時は災害が起きても、都道府県知事からの要請がなければ部隊を派遣してはならないとされていました。そのため知事から要請が出た時には道路が大渋滞し、自衛隊は身動きできない状況に陥り警察や消防の後塵を拝しました。
この時の初動のもたつきが大きな教訓となり、その後の法改正などで自衛隊出動の要件緩和が進みました。そして、2011年3月11日を迎えます。
東日本大震災は死者・行方不明者が2万2325名にも上る大惨事であった一方で、警察・消防等の公助により約2万8000名が救助されました。その7割に相当する約1万9000名を救助したのが自衛隊でした。
災害に遭った人の生存確率が高いのは発災から72時間と言われています。阪神・淡路の教訓を生かし、迅速に3万人近い部隊を現地に集めたことが功を奏しました。
東日本を襲った大地震に伴って発生した高い津波は、福島第一原子力発電所における事故も引き起こしました。福島県は今もなお汚染とそれによる風評被害で大きなダメージを負っています。
昨年12月22日、私は久しぶりに双葉郡の大熊町や富岡町などの帰還困難区域を視察しました。そして、「福島の復興なくして日本の復興なし」という思いを再確認するとともに、記憶を風化させてはならないと誓いました。
地震大国日本は、阪神淡路大震災、新潟県中越地震、東日本大震災、熊本地震などこの30年で幾つもの大地震を経験してきました。多くの国民の犠牲と引き換えに得たはずの経験と教訓は、昨年元日に起こった能登半島地震で生かされたでしょうか。
初動の遅れやその後の支援策の遅れなど、岸田前政権と石破現政権の対応を厳しく検証しなければなりません。首都直下地震、南海トラフ地震など、迫り来る巨大地震に備えるためにも…。