詳細 | かわら版 | 衆議院議員 野田 よしひこ

かわら版 No.1473 『嗚呼(ああ)、津田沼-わが政治活動の原点-』

2025/10/06

  初めて駅前に立ったのは1986年10月1日の月曜日、JR津田沼駅北口でした。本当にドキドキしました。翌春の県議選をめざして覚悟を決めて立ったつもりでしたが、あまりの人の数に最初は目も開けられませんでした。思わず下を向いてしまいました。


  津田沼は人口が急増した千葉県北西部の交通の要衝。1970年代から高島屋やダイエー、イトーヨーカ堂、丸井、パルコ、西友、イオンなどの流通大手が次々と出店し、その攻防は「津田沼戦争」と称されました。


  その津田沼で私が活動を始めた頃は、「津田沼パルコ」は全盛期でした。「イトーヨーカ堂津田沼店」も、ヨーカ堂の全国の店舗の中で最も売れていました。そのパルコは2023年2月末に閉店、ヨーカ堂も2024年9月に閉店しました。


  流通大手の攻防や構図は変遷しても、私は今も変わらず毎週月曜日、「かわら版」を津田沼駅前で配り続けています。お陰様で今月から40年めに入りました。流通のつわものたちの浮沈を横目で見ながら、手探りでドキドキしながら始めた活動がこんなに続くとは…。


  当初の10年間は、津田沼、船橋、西船橋など総武線沿線の駅をローテーションで回りました。東葉高速鉄道が1996年4月に開設されて以来、北習志野駅や飯山満駅等でも約30年にわたり、ビラを配り続けています。


  私と同様の活動をする政治家は増えましたが、マイクを握った時間数と自ら配ったビラ数は誰にも負けていないはずです。


  初めてTVの討論番組に出た時、田原総一郎さんから「自民党みたいな顔だね」と揶揄されました。が、私は初当選以来、一貫して「非自民」の立場を貫いてきました。今後もぶれずに右にも左にも流されない中道を貫き、格差を是正し「分厚い中間層の復活」をめざします。そして、街頭で説明責任を果たし続けます。


  早朝の駅頭は急ぎ足で改札に向かう人ばかりですが、中には話しかけてこられる方もいらっしゃいます。その短い会話の積み重ねこそ、私が世論を体感する貴重な機会となっています。


  最近は「物価高を何とかしてほしい」という切実な声が圧倒的に多いです。メディアジャックされた感の強い自民党総裁選に言及する人はほぼ皆無でした。自民党外の空気は冷めており、白けている人が多いと感じました。


  10月4日、ようやく新総裁が決まりました。参院選の投開票日が7月20日でしたから、約70日も政治空白が続いてきました。山積する政治課題が放置されたままです。これ以上の政治空白は許されません。直ちに臨時国会を召集するよう強く要求いたします。


   


  津田沼駅北口のマクドナルド店近くの自転車置き場辺りに、エレベーターが設置されます。来年4月から設置工事が始まります。習志野市に働きかけてきましたが、市のご理解を得ることができました。ご報告まで。


  

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