
かわら版 No.1492 『責任ある積極財政』
2026/03/09
東日本大震災の発災は2011年3月11日の午後2時46分。人それぞれの「その日」「その瞬間」がありました。私は、参院決算委員会に財務大臣として出席している最中でした。国会は直ちに休憩に入り、全閣僚が総理官邸の危機管理センターに入りました。以降は激動の日々となりました。
まずは急激な円高への対応。日本企業が手元資金として円を必要とするだろうという思惑を投機筋が広げ、そのシナリオでマーケットが動き始めました。対ドルで円が81円から76円に。1日で5円も急伸しました。
この危機を克服するためにG7各国を説得し、協調介入を実施しました。1ドルが80円台に戻り、胸をなでおろしたことを鮮明に覚えています。15年後に円の価値が半分になるとは…。隔世の感があります。
続いては財源の確保。国土交通大臣は道路や鉄道、文部科学大臣は学校、厚生労働大臣なら病院など、各大臣には所管する現場がありました。財務大臣の場合は、これらの被災地のためのお金の工面が仕事でした。
財政制約が復旧・復興の足かせになってはならないという思いで、3回にわたり大型補正予算を組みました。復興特別会計を設け、5年間の「集中復興期間」で総額26兆円の計画を立て、財源を確保する段取りも行いました。まさに、従来以上に財政支出を拡大する「積極財政」でした。
新型コロナウイルス対応に追われた菅義偉内閣も、約1年の間に3度の補正予算を組み、73兆円もの大規模な対策を実施しています。先進国平均を大きく上回る規模の積極財政路線でした。
大きな自然災害やパンデミックが発生した場合には、国民の生命や暮らしを守るために積極的に財政出動しなければなりません。そのような危機に備えて、逆に平時は財政余力を確保しておくべきです。
以上のように頭の中を整理しているのですが、高市政権が掲げる「責任ある積極財政」は今もってわかりません。
総理は「長年続いてきた過度な緊縮志向」を断ち切ると唱えていますが、緊縮財政の時代ってあったのでしょうか。東日本大震災の時もアベノミクスの下で展開された機動的な財政政策も、そしてコロナ対応も緊縮ではありませんでした。むしろ、予算規模を「平時」に戻せないまま、水ぶくれ予算のまま推移しているのではないでしょうか。
マーケット向けには「責任ある」という枕言葉を使い、自民党内のイケイケ派に向けては「積極財政」と言っているだけではないでしょうか。この矛盾のかたまりのような合成語では、「インフレ時の積極財政は円安と金利上昇の悪循環をもたらす」という懸念を払拭できません。
約122兆円もの史上最高規模の予算について熟議することもなく、13日には採決しようとしています。財政民主主義を踏みにじる暴挙です。